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嵐のなかで

異例のコースをたどり小田原の一部の場所でも
被害があった台風12号が7月28日から29日にかけて関東を通過しました。
その29日日曜日未明に実家の父が亡くなりました。
病院からの連絡で深夜12時過ぎ車をだしたときは
まだ強い雨と強い風のなかでした。

7月半ばから自宅に介護ベッドを入れて
25日にはもうベッドから立つこともできなくなり
27日に胃がんの手術をした病院へターミナルケアとして入院をさせました。
入院した日は水分もティースープんで口に少しずつ
運んであげてやっと飲み込むという状況でしたが
意志や気持ちはしっかりしていました。
入院した部屋は海側で目の前に大きく海が
青々と広がっていて、父は”良い部屋だ”と喜んでいたくらい。
窓から見える海は子供の頃家族で何度か遊びに行った地元の海です。


それから2日弱、29日日曜日、深夜2時少し前に帰らぬ人に。


シビアになってから週に1度、主治医と私で今の状況
これから起こること、どうしてあげると楽なのか
いろいろ話をしてきました。
ありがたいことにとても細かくあからさまに、
教えてくださって私の中で準備ができました。
いたずらに長引かせることなく、長く苦しまなかったのが
幸いだと思っています。
主治医ともソフトランディングということを
決めていたので私だけの勝手な思いかもしれませんが
これでよかったのだと思っています。


去年7月に胃がんと判り約1年。
胃がんと判る1月前まで現役の自動車整備士として
仕事をしていて、85歳としては立派だったと思います。


そして、亡くなった翌日月曜日に父がお世話になった
地域包括センターの担当さん、訪問看護師、ケアマネジャーさん
ヘルパーさんにごあいさつの電話をしました。
このいずれもみなさん本当に良い方たちばかりでした。
特に地域包括センターの担当さんは電話口で涙を流されていて
ありがたいと思いました。


ただひとつ、葬儀のときに祭壇に弟が飾った父が書き遺したスケッチブックを
見て少しかわいそうなことをしたと・・・


父は絵や習字が好きでよく書いていたのは知ってはいました。
そのスケッチブックにはいろんな絵が書いてあって
私が実家に生けたお正月のお花の絵も何枚かありましたが
ここ数年生けに行っていなかったのでどれも古いものでした。
父が私が生けたお花を書いていたなど知らなかったので、
生けに行くのを止めないであげた方がよかったのかなって思ったりしました。


父は四国の四万十川近くの田舎で生まれ
生後1歳で母親を亡くし父親は父が6歳ころ親戚に父を
あずけて川崎に行き別の生活を始めてすぐに亡くなったような生い立ちです。
去年オペで2週間入院していた時会社帰りに寄った病室で
父は ”(自分は)生まれたことは不幸だったけど今は幸せだ”と
言ってたのが、帳尻があったかなって感じです。


8月2,3日の通夜、告別式、納骨式と
猛暑の中、ひとひとり送るのって大変って実感しました。


そそ、亡くなった日菩提寺の住職と1時間以上、私と弟、弟のお嫁さん
と3人で面談?があって住職から父の事についていろいろな質問をされました。
葬儀で父を送るときにお教の中に父の人生を読み上げる部分があるのと
戒名を決めるにあたって聞きたいとのこと。
その中の質問の1つに、あなたにとってどんなお父様でしたか?
と聞かれて弟や弟のお嫁さんは、おだやか、やさしい、怒られたことはほぼない
など答えていて、私は”同じ技術者として尊敬をしている”と答えました。
私には厳しかったし(笑)技術者として仕事のやり方について
話をすることが多かったので正直にそう答えました。

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